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読書感想文

※作品内の表現については原文のまま掲載しています。

小学校 低学年

最優秀賞

末広小学校3年生 長井 陽愛さん  「とべないホタル」をよんで

 わたしは虫がだいのにがてです。大きな音がにがてです。体をうごかすこともにがてです。わたしにはうまれつきしょうがいがあります。とべないほたるをよんでみてわたしににているところがあるなとおもいました。とべないホタルははねがまがっていてみんなとおなじようにとべません。みた目もみんなとちがいます。ふつうのホタルはどうたすけてあげればいいか、どう声をかけてあげたらいいかなやんでいました。かわいそうだとおもうからです。わたしはみためはしょうがいがあるとわかりません。でもみんなのペースについていけなくてかなしくなることがあります。たすけてほしいとおもうこともあります。ともだちにりかいしてもらいたいです。自分からははずかしくて目をあわせることもにがてなのでうまくいえません。ぎゃくにちょっかいをかけてくる子もいます。なのでとべないホタルはいわなくてもたすけてくれるなかまがいてしあわせだなとおもいました。わたしにもりかいしてくれているともだちがいます。ほいくえんからいっしょです。これからもそういうともだちをだいじにしようとおもいました。

 わたしはデイサービスにかよっています。そこではにがてなことをこくふくするくんれんがおとなになったときに自分の力でいきていくためにひつようなことをまなびます。ほとんどまいにちいくのでともだちとあまりあそべません。だからともだちとあそべるときはすごくうれしいです。くんれんもたいせつだとおもいます。わたしには下に三人きょうだいがいるのでおかあさんもたいへんです。だからすこしでも自分の力だけでできることもふやしたいです。でもいまはともだちとの時間をたいせつにしたいです。だからもっといっぱいあそびたいです。

 よの中にはとべないホタルや足がわるくて外へでられないひろちゃんのようにみためにしょうがいがある人もいれば、わたしのようにみた目はふつうでもないめんにしょうがいがある人もいます。こまっているときにたすけてもらえることもうれしいですが、わたしもこまっている人がいたらたすけれる人になりたいです。おかあさんはしょうがいのことをこせいだといっていました。みんながしょうがいだとさべつするのではなく、こせいだとりかいしてくれるよのなかになればいいなとおもいます。

 わたしはえがとくいです。パソコンでえをかいたりします。いつかとくいなえでとべないホタルをかいてこまっている人をたすけようとおもってくれる人が一人でもたくさんふえてくれたらうれしいです。とべないホタルになかまがいてよかったなとおもいました。

優秀賞

第二小学校3年生 柏原 歩美さん  「おりづるのたび」を読んで

 八月六日は平和登校日で、小学校に行きました。もくとうをして、テレビで平和へのちかいを見ました。その後、たんにんの先生からささ木さだ子さんの話をしてもらい、もっと知りたいと思ったので「おりづるのたび」という本を読みました。

 この本は、先生に教えてもらったさだ子さんが主人公です。一九四五年八月六日、さだ子さんが住んでいた広しまに原ばくが落とされましたが、さだ子さんはぶ事でした。でも、せんそうが終わって九年もたってから、原ばくしょうになってしまいました。びょういんで、おりづるを千羽おるとねがいがかなうと聞いて、千羽い上おりましたが、さだ子さんは二十才でしんでしまいました。

 その後、さだ子さんの同きゅう生が、原ばくがくり返されないようにとねがいをこめて「原ばくの子のぞう」を作りました。このぞうはさだ子さんがモデルになっています。この話は本や歌にもなって、色いろな国に広がり、たくさんの人がおりづるをおって、平和をいのりました。

 この本を読んで、わたしはせんそうはなくてよいものだと強く思いました。せんそうをしている時に人がしんだり、けがをしたり、食べ物がなかったり、いやなことやこまったことがたくさんあったけれど、せんそうが終わってからも原ばくしょうというびょう気になったり、しぬことがあるからです。

 そして、この本を読んで知ったことは、平和にするために、子どもにもできることがあるということです。広しまの子どもたちが、「原ばくの子のぞう」をたてたことを、アメリカの子どもたちが知り、平和なみ来をねがって、子どもたちの力でアメリカに「子ども平和ぞう」をたてました。 

 わたしは、平和登校日に学校のみんなでおりづるをおりました。今まで、なぜおりづるをおるのか、よく分かっていなかったけれど、おりづるをおる意味を考えて、平和な世界になるように、思いつづけることが大切だと思いました。

 お母さんが、二年前に前のアメリカの大とうりょうのオバマ大とうりょうが広しまに来て、さだ子さんのおったおりづるを見学したことや、オバマ大とうりょうも自分でおったおりづるを日本へ持って来たことを教えてくれました。このことは、世界中で平和をねがっている人たちの思いがオバマ大とうりょうにとどいたからだと思います。

 世界中の人たちが「平和だなぁ」と思えるように、原ばくが早くなくなってほしいです。

優秀賞

北中小学校3年生 伊藤 大恭さん  「だいじょうぶだよ、おばあちゃん」を読んで

 ぼくは、「だいじょうぶだよ、おばあちゃん」という話をえらびました。その理由は、はじめて読んでみて、いい本だなと思って、本の中のおじいちゃんの気づかいがいいと思ったからです。

 この話は、いなかのおばあちゃんがけがをしたので、子どもたちがお手つだいをする話が中心になっています。おばあちゃんは買い物のと中に転んでけがをしてしまいました。そこで、子どもたちがおばあちゃんの家に行って、お茶を入れたり、物を運ぶお手つだいをしに行きました。

 ぼくが一番心にのこった場面は、おばあちゃんがトイレに行くとき、おじいちゃんがすぐに気づいて、おばあちゃんをトイレにつれていく場面です。おじいちゃんは、とても気づかいができる人だと思いました。

 ぼくのおじいちゃんも、何年か前に、同じような体験をしたことがあります。それは、自転車で転んで、肩のじんたいをそんしょうした時のことです。一か月くらい、かた方のうでを三角きんで固定していたので、ごはんを食べたり、お風呂に入るのもふべんで、たいへんでした。ぼくは、少しでもおじいちゃんの役に立ちたくて、自分でできることをしようと思いました。おじいちゃんがごはんを食べるときに手つだったり、飲み物を入れたりしました。 

 これからぼくは、町で見かけたおじいさんやおばあさんが、重たいにもつを持ってこまっていたり、電車やバスの中で立っていたりしたら、やさしく声をかけようと思います。こまっている人の役に立てるように、自分ができることからやっていこうと思います。

 この本で、おばあちゃんがけがをして思ったことがあります。おばあちゃんの病気やけがを治すには、ぼくたちがおばあちゃんのところに遊びに行ったり、顔を見せに行くことが、一番の薬になるのだということです。

小学校 高学年

最優秀賞

第二小学校6年生 福島 康太さん  口で歩く

 タチバナさんは体が不自由で、車輪付きのベッドのようなものに乗って外出します。移動は、誰かが通りかかるのを待って声をかけ、その人が行く方向へ、と中までベッドをおしてもらいます。そこでまた別の誰かが通りかかるのを待って、少しずつ行きたい方向へ移動します。

 通りすがりの人に立ち止まってもらうためには、口で声をかけるだけではなくて、話しかける時の表情にも、タチバナさんはとても気をつけているように思いました。また、タチバナさんの不自由な体と、ベッドに寝転がっている姿は、初めて見る人にとっては、とてもびっくりするもので、通り過ぎてしまう人も多いのではないかと思います。それでも散歩に出かけ、明るく声をかけているタチバナさんの姿から、たくさんの人と出会って会話を楽しみたいという前向きな気持ちが、とても伝わってきました。ベッドをおしてもらっている間は相手の年れいや気持ちを考えて、話す内容を変えてみたりしているし、話すことをやめて相手の話を聞いてあげる時も、人を待ち続けて雲を眺めている時も、タチバナさんにとっては、目的地に着くことよりも、今ここで見えるものや、人との出会いを楽しみに外出しているようでした。と中、行きたくない方向へ連れて行かれたことや、大変な思いをしたところもあったけど、そんな時でも、タチバナさんは落ちついているように思えて、状況を受け入れて、いつも何かを楽しんでいるように感じました。また、タチバナさんに自分の話を聞いてもらったおじいさんが、今度いつ会えるのかとタチバナさんに聞いた時、おじいさんはタチバナさんに話を聞いてもらえたことで、うれしい気持ちになっていて、タチバナさんも、自分を必要としている人がいると感じることができて、お互いが支え合っているように思いました。体が不自由な人にとって、外出をすることは、外の景色を見て気分転かんをするだけではなく、自分も誰かに必要とされ、誰かの役に立っているということを知ることができて、それが生きがいにもなると思います。だから、勇気を出して外に出ることや、人との出会いを楽しむことは、とても大切なことなのだと思いました。と中で出会った小学生もおじいさんも、きっと誰にも話せなかったことを、タチバナさんにだけ話すことができて、受け止めてもらえて、助けられたと思います。

 読み終わって驚いたことは、この本がタチバナさんの一日のうちの数時間だけの物語だったということです。数時間で、何人もの人に出会って、いろいろな感情になったり、考えたり楽しんだり、たくさんのことを経験していました。そして、出会った相手も、みんなそれぞれがいろいろなことを感じたり、勇気をもらったりしていると思います。もっとタチバナさんと話すために、遠くまで移動を手伝いたいと思ったり、また会いたいと思ったり、次会えたらどんな話をしようかと楽しみに考えたりしている人がたくさんいたと思います。ぼくもこの本を読んで、本の初めに書いていた「だれひとりとして意味のない人はいない」「だれひとりとして価値のない人はいない」という言葉の意味をタチバナさんから教えてもらえたと思います。そして、学校でも習ったように「障がい者の生きやすさは、周りの人達が作る環境によって変わるものだ」ということもよくわかりました。その環境には、周りの人がかける言葉も含まれているのだと思います。みんなが生きやすいようにするためには「生きにくさを知ること」がとても大切なことだとわかりました。

優秀賞

第一小学校5年生 宮脇 初果さん  「すごいね!みんなの通学路」を読んで

 この本の中には、私の知らない世界がたくさんつまっていました。

 私は、整えられた道を友達と話をしながら、歩いて学校に行きます。でも、フィリピンの子ども達は、大きな川にワイヤーを2本わたしただけの橋を通って学校に行きます。とてもき険な通学路です。きっと私ならこわくて一歩もふみ出せません。中国では、山をこえないといけません。インドネシアの子ども達は、かたむいた橋を通って学校に通います。日本は安全な国だと改めて感じました。

 このように「世界には、学校に行きたくても行けない子ども達がいる」と、この本に書かれていました。どういう意味か分からなくて、「知りたい」と思ったので調べることにしました。

 私たちにとって、学校に通うことはふつうのことです。でも途上国の子ども達にとっては学校は「行きたくても行けない場所」なのです。病気が原因だったり、女性だからという性差別だったり、紛争の影響などがその理由です。みんな同じ人間なのに、世界にはつらい思いをしている子ども達がいることを知り、腹が立ちました。

 私は学校が大好きだから、学校に行けないことを想像すると悲しくてたまらないし、楽しくないです。学校には大好きな友達がいっぱいいます。いっしょに小説を書いたり、給食の時間にこわい話をしたり、昼休みに走りの競争をしたりします。五年生になって林間学校もありました。林間学校の野外すい飯で、友だちの料理がすごくおいしくてビックリしたり、あらい物を手つだってくれてうれしかったり、良い思い出がたくさんできました。

 だから、この本を読んで「今の自分は幸せなんだ」と思いました。そして、今までの自分を反省しました。例えば、私はかげで友だちの悪口を言ってしまったことがあります。「最悪」です。私は友達の良い所を見つけられる人間になりたいです。

 このように、学校に行けることはふつうのことだと思っていたけど、ぜいたくなことだと分かりました。これから先、勉強がうまくいかなかったり、友達とうまくいかなかったりすることがあるかもしれないけれど、私は学校をイヤなんて思わないようにしようと思います。そして、イヤなことがあっても、前向きに考えてがんばろうと思います。

優秀賞

長南小学校6年生 宮路 琉愛さん  テオの「ありがとう」ノート

 私は五年生の時、滋賀県にある障がい者支援施設に行く機会がありました。そこに着くまでは何の知識もなかったので、施設に入った時少しびっくりしました。この施設は、話すことができなかったり、歩けなかったりする重度の知的障がいの人がほとんどで、車いすに乗っている人もいました。このような経験から、車いすに乗る男の子の表紙の絵が目に入り、読もうと思いました。

 この本は、家族とはなれて障がい者支援施設で暮らしている十二才のテオという少年が、「ありがとう」を言いたくなくなり一人で何でもするようにした話です。テオは左手と両足が生まれつき不自由で、車いすに乗っています。そのため、なんでも介護職員にお願いをしなければ何もできませんでした。何かをしてもらうたびに、ありがとうと言わなければならないことに疑問を感じていました。障がいのない弟なら、朝だけでどれぐらいありがとうを言うか考えると、とても不公平なことだと思って「ありがとう」や「すみません」と言うのはやめることにしました。そうして二週間たったころ指導員に、お礼を言わないテオの態度の悪さを注意され、その後カウンセラーとの面談で、リハビリの回数を減らし、運動療法も減らすかわりに、お世話をしてくれる人にこれまでの態度を謝ることになりました。その時カウンセラーにスポーツする事をすすめられ、施設にある体育館へ行き、そこでパトリスという先生に出会います。パトリスと出会ってからテオは、自分で着がえなどができることが分かり、何でも自分でやってみようとしました。でもどんなにがんばっても、健常者と同じようにできないことがあることを知りました。私のお父さんも生まれつき、右手が不自由です。着がえや身の周りのことはほとんどできるけど、やはり、どうしてもできないことはあります。お父さんは私でも泳げないクロールを片手だけで、二十五メートル泳げていたそうです。私はそれを聞いてびっくりしました。

 テオは自分でできることが増えたおかげで「ありがとう」を言う回数が減りました。でも弟と比べるとまだ多いので、いろいろな人の手伝いをして「ありがとう」をもらうことにしました。そうして「ありがとう」ノートができました。そのノートには日付と、言った数、もらった数を書きました。そうしていくうち、みんなからたくさん「ありがとう」をもらい、ノートを気にしなくなりました。

 テオがありがとうを言わないことがきっかけで、何度も壁にぶつかり、乗りこえることで障がいを受け入れ、自分自身を成長させることにつながりました。障がいがあってもなくても努力することが大事です。私も失敗をするとすぐにあきらめてしまうけど、この本のおかげで失敗をくり返してもあきらめないことがとても大切だと分かりました。

中学校

最優秀賞

長南中学校1年生 奥野 美羽さん  「ぼくがスカートをはく日」から学んだこと

 私は、引きつけられるように、一つの本の前で立ち止まった。表紙をみるだけで胸が落ち着かず、タイトルはたった十二文字なのに、思わず見てしまうすご味のあるタイトル、それだけで、話の展開を想像して、止める事ができなかった。そこで、この本を読んでみようと決意した。

 この本の主人公は、グレイソンで、体の性は男性だけど、女性の格好をしたいと強く願う心の性は女性だと思われる主人公だ。グレイソンは、ノートにお姫様の絵を描き、お姫様にあこがれては、鏡をみて女性とは程遠い自分の姿に失望する。そんな日々を送っていた中、かべに演劇のオーディションの事が書かれたチラシを見つける。この事が、グレイソンの人生を変える出来事となる。ふだん自分から何かに挑戦する事のなかったグレイソンが、オーディションに参加すると聞いて先生や、一緒に暮らしていたおじとおばがとても喜ぶ。しかし、グレイソンがやりたかった役は男性の役ではなく、女性の役だった。その上、よく古着屋に一緒に行っていたグレイソンの女友達に、女性の格好をしているところを見られてしまう。そんなとき、グレイソンに、一つのふうとうが渡される。亡くなった母親からだ。グレイソンは、交通事故で両親をなくしている。その母親からの手紙がたくさん入っていたふうとうには写真も入っていた。その写真は女の子の格好をした、小さい頃のグレイソンだった。手紙には、「グレイソンは自分の事を女の子だと言っている」と書いてあった。このふうとうをもらい、グレイソンは、自分は女の子だと自覚していき、演劇の女性の役を手に入れた。しかし、この事を知ったクラスメイトからいじめを受ける。でも、演劇の仲間からの支えがあり、自分の道で生きることを選ぶ事ができた。

 この話で、今までやってきた性の勉強をもう一度ふり返る事ができた。自分の生活している場でも、そのような気持ちを持った人は少なからず居て、自分が当たり前にした事、やった事がその人を傷つけてしまう事があるという事に気付いた。道を歩いていたら、そのような人がいて、でも、その人を見てコソコソ何かを冷たい目で話す人がよくいるっていうのを自分でも体験して、今の世の中って、心と体の性が違う人がとても生きづらい世の中じゃないのかなと思う。その事を理解できている人はまだ全然少ないと思うから、心と体の性が違う人が生きづらくない世界をつくるためには、理解をしたり、実際に話を聞いてみたりと、もっとこの事を重要な事にしていかないといけないと思った。そしてこの話の中で、グレイソンの先生が言った言葉で、「世の中のほとんどの人はやさしい心を持っている。手をさしのべてくれる人をみつけなさい。そして、その手にたよりなさい」という言葉がある。とても温かい言葉だと思った。世の中には、もっと、LGBTの人を見かけたときに温かい言葉をかけれる人が必要だと思う。先生の言葉にある、世の中の人はほとんどがやさしい心をもっているという部分。もし、これが本当なら、まだ人間は本当のやさしい心を出せていないから、もっと人間が人間に対してやさしくしていかないといけない。

 この本を読んでいると、次は、主人公のグレイソンの視点で読んでみたいと思った。この本は、読むだけで、色々な考えが生まれ、世の中の事をもう一度考えられる本だ。自分の中で、考えを持ち続け、それを誰かと共有し、LGBTの差別のない世界をつくっていきたいと、本を読む前より、強く思う。将来、この本の主人公どれかの立場の体験をするかもしれない。そんなとき、LGBTの人が、グレイソンと同じ傷ついた心を持つ事がないように、先生の言葉を頭に入れ、相手が自分の道を生きられるような対応をしたい。

 この本はどの場面になっても気付かされる事ばかりだった。この本は自分の中で一生残り続けるだろう。

優秀賞

日根野中学校1年生 村上 恵愛さん  「あるがままに自閉症です」を読んで

 私がなぜこの本にしたかというと、最近、障害を持っている人をよく見るからです。それに私のいとこも自閉症ではないけれど「ダウン症」という障害を持っています。一部の人たちは障害を持っています。一部の人たちは障害を持っている人たちに対して「かわいそう」や「頭がおかしい」などという人も少なくありません。障害を持っている人は、障害をかかえながら生まれたいと思って生まれてきたわけではありません。それに私は障害を持っていてもいいと思います。障害を持っているからって他の人とは別の接し方をするということはひどいと思います。障害を持っている人は色々な個性があっていいと思います。色々な個性があってこそ今の世の中があると思います。だから、障害を持っている人も持っていない人も平等な接し方をみんなにしてほしいと思いました。

 この本を読んで、「障害にも色々な種類がある」ということを知りました。私はまだ、「ダウン症」という障害の人しか接したことがないからです。障害を持っている人は周りの人たちより、物や言葉を覚えるのに時間がかかります。だからって、そのことを否定するのはダメだと思います。障害を持っている人たちが努力しようとしているからです。もし、自分が一生懸命に何かをしているときに、誰かにそれを否定されるとみんないやだと思います。それと同じです。障害を持っている人たちは自分の感情を伝えるのは苦手です。だから、行動で表すんだと思います。それを「頭がおかしい」というのは、おかしいと思います。私は、はっきりいって何もわかっていないと思います。障害を持っている人は、必死で「今、自分はこういう気持ちだ。」ということを伝えているからです。感情の伝え方が少しみんなと違うだけです。だから、それを否定するのはちがうんじゃないかと思いました。

 自閉症や障害を持っている人も私たちと同じ人間です。以前、ニュースで障害を持っている人たちが殺害されたという事件があったということを知りました。犯人は「障害者がじゃまだから殺した」と話していたそうです。私はこのことを知ったとき、どうしてそんなことをするのか、わけがわかりませんでした。障害をもっている人もその犯人も私たちも同じ人間だから、じゃまっていう犯人の勝手な気持ちで何人かの命が亡くなったと思うと、とても残こくです。今後は一度もこんなことが起こらないようになってほしいです。

 自閉症の人は、自分が自閉症と気づいていないそうです。でも、成長するにつれて、「自分は人とは違う。」と思い始めるそうです。気づくまでは、「なぜ、自分は他の人とは違うのだろう。」とか、「みんなはできているのに、どうして自分だけできないのだろう。」など、自分だけ違うといやな思いをして、人と接さなくなったりするそうです。でも私は、人と違うとか同じとかではなく、人とは違う自分の個性が大事だと思います。人はみんながみんな、一緒じゃないからです。だから、自分の個性を大切にしたらいいと思いました。そういう人たちに対して、自分たちと一緒じゃないからって、いじめをしたり、差別をしたりすることは、人として最低な行為だと思います。最低な行為をしている人がいたら、とめてあげたいと思います。

 私は、この本を読んで思ったことがあります。それは、人はみんな違うということです。人はみんな自分の個性があります。その自分の個性に自信を持って、胸をはれる人になりたいと思います。また、いじめなどで、自ら自分の命を落とす人たちもいます。自らの命を自分で落とすということは、何か一つは理由があるからだと思います。だから、自殺をする人をなくすために、少しでもおかしいなと思ったり、困っている人がいたら、声をかけてあげようと思いました。また、自分が困ったり、人に何かをされて、いやだなと感じたら、大人の人に相談をしようと思いました。私たちが今できることは、友達と仲よくすることだと思います。今、周りにいる友達、クラスメイト、先輩方、家族に出会えたことに感謝し、毎日を過ごそうと思いました。

優秀賞

長南中学校2年生 森本 和さん  言う勇気

 「私たち言葉屋は、言葉屋といえども、言葉そのものを売っているわけじゃない。言葉屋があつかっているのはね、言葉を口にする勇気としない勇気だよ」

 「言葉屋」という題名が気になり、表紙のかわいさにつられて本を開くと、そこにはこのような言葉が書いてあった。なんだかとても漠然としていて、分かるような分からないようなこと。実行するには難しそうなこと。けれど、それはきっと、とても大切なこと。

 小学生の頃学習した「ふわふわ言葉」「ちくちく言葉」が思い浮かんだ。人を気遣う言葉、傷つける言葉。言っていい言葉、ダメな言葉。けれど私は何か違う気がした。この言葉たちに勇気は必要なのだとろうか?ふと疑問に感じたからだ。

 主人公は小学五年生の女の子、詠子。そして、雑貨屋を仕事にするおばあちゃんの本業は「言葉屋」だ。言珠(言う勇気)・言箱(言わない勇気)を扱っている。詠子はおばあちゃんの言葉屋工房に入門し、言珠職人を目指すことになる。言珠(言う勇気)を作り出すのだ。

 言う勇気とはなんだろうか。

 普段学校で話す言葉。友達と話す言葉。先生と話す言葉。家族と話す言葉。

 仲がいい友だちと話す時の言葉は、ついつい省略してしまっている事があるような気がする。言葉にしなくても分かりあえる。それはとても素敵なことだ。けれども言葉にしなければ伝えられない、伝わらない思いがあるということに気付いた。

 おばあちゃんの言葉に

「一見、誰でもなんでも言えているように見えて、本当に言いたい言葉は口にできない、そんな息苦しい環境が多いような気がしてね。」とある。

 言わなければ失敗することはないのかもしれない。けれども言わなければ分かってはもらえない。口にして失敗した時の嫌な気持ち。口にせず伝わらない時のもどかしい気持ち。両方とも味わったことがあるからこそ、余計に難しい。

 「話す」ということ、「言う」ということは別物なのかもしれない。

 「話す」ことでコミュニケーションがとれる。けれど「言う」ということ、それは相手に関心を持つということかもしれない。その時、その場面でふさわしい言葉を選択して言う。とても難しい作業だ。

 ある時、詠子は周りのみんなの気持ちをつなげるために、組みひもを作り交換するという手段を使う。またある時は手紙という手段を使い、コミュニケーションをとる。けれども次第にもどかしさを感じていく。それは、自分の気持ちを一方的に伝えるだけで、相手の気持ちを読み取ることができないことに気付いたからだ。

 ここでも言珠(言う勇気)の大切さに気付く。

 「言葉屋」のおばあちゃんがかけてくれる言葉は、不思議と私の心に入ってくる。

 「成功のための失敗を好きになれなければ成功にはたどりつけない」これもおばあちゃんの言葉だ。これは言珠作りを始め、失敗をおそれる詠子にかけた言葉だ。

 全く状況が違う私。なのにこの言葉は私の心に住み着いて離れない。とても温かく心強い言葉。何度でも繰り返し思い出したい、お守りのような言葉。

 一歩踏み出す勇気。それは言葉だけではなく、あらゆる場面で必要な勇気だ。

 言葉にして思いを伝える。行動を起こす。これが出来ればとても素敵だ。けれどもそれは、とてもとても勇気のいること。

 私はこう考えた。一歩目、それは完ぺきではなくてもいいのかもしれない。そして詠子のように、言葉ではなく他の手段を使ってでもいいのかもしれない。けれど、一歩目を踏みだすことができた後には、やはり言葉は必要だ。それは一方的な言葉ではなく、相手の思いを感じ取りながら自分の思いを伝える。こんな言葉をかけたい。

 この本を通して言葉の持つ「温かさ」「力強さ」を感じとることが出来た。そして言葉の力により、他の人に寄り添うことが出来るということも学んだ。

 私も、みんなの気持ちにより添える人になりたいと思う。そして、勇気を持てる温かいおばあちゃんのような言葉がかけられる人になりたい。

お問い合わせ
学校教育課 <e-mail:g-kyouiku@city.izumisano.lg.jp>
電話番号:072-463-1212(内線2331~2335)
FAX番号:072-469-5267

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