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作文

※作品内の表現については原文のまま掲載しています。

小学校

最優秀賞

佐野台小学校5年生 加藤 咲 さん  「障害者」について

 今年の7月26日、おそろしい事件がありました。「相模原障害者施設殺傷事件」です。これは、障害者施設に入所していた人たちが、19人殺され、26人がけがした事件です。この事件の犯人は、障害者を差別する気持ちがあって、「障害者なんていなくなればいい」と言っているとテレビで見ました。また、本当に少ない人数と信じたいけれど、この犯人の行動は正しいと言っている人もいるとも見ました。私はそれを聞いて、とてもこわくなりました。なぜかと言うと、私の姉も「障害者」だからです。姉はダウン症で生まれて来ました。たしかに、同じ年の子とくらべれば、頭はあんまり良くないし、運動もできないし、言葉がハッキリせず、たまになにを言っているのかわからない時もあります。友達のお姉ちゃん達とちがって、私が世話しないといけない時もあって、大変だなと思ったりします。でも、友達のお姉ちゃんと取りかえたいとは一度も思った事ありません。姉は、他の子より出来ない事が多いけど、その分すごく努力しています。がんばっているすがたを何度も何度も見て来ました。出来なかったら、すぐにあきらめてしまう人はたくさんいると思います。私の姉はとてもえらいです。

 だけど、そんな姉を「障害者」というだけでいなくなっても良い、傷つけてもいいと思っている人、そしてそれにさんせいする人がいるという事が本当にショックです。私の両親やおじいちゃん、おばあちゃん、そして私にとって、大切な姉は、知らない人にとっては、「障害者」というものになるんだということが、すごくしょうげき的でした。私は姉がひどい目にあうのは絶対にいやです。考えたくもありません。それは、今回被害にあった人たちの家族も同じはずです。なので、一度「どうすれば差別はふせげるか」を真けんに考えました。

 しかし、いくら考えても答えは出ませんでした。差別はいけないこととうったえても、わかってくれないと思います。「相手の立場になって」といっても、むずかしいことだと思うからです。でも、わかっていることが1つあります。私の姉は「障害者」という名前ではありません。「ダウン症」という名前でもありません。私の姉は、私の姉です。加藤家の長女です。今回被害にあった人たちの家族もきっと同じだったのだと思います。みんな同じ1人の人間であることをわかってほしいと思います。

優秀賞

長坂小学校5年生 松坂 京香 さん  平和学習をして

 平和学習で、「つるにのって」というDVDをみて、学習をしました。初めはとても、むねがいたくなりました。げんばくしりょうかんでは、げんばくがおとされ、やけた一輪車もありました。わたしは、その一輪車に、たくさんの思い出や願いがつまっていると思うと、とてもかなしくなりました。そして、「つるにのって」という話では、広島に来た、ともこさんが、小学六年生の時、げんばくのほうしゃのうでなくなった、さだこさんに出会いました。さだこさんは、2さいのころに自分の住む広島に、げんばくがおとされました。でもその時さだこさんは、なんのけがもしませんでした。でも、ほうしゃのうをあびたせいで、中学一年生のころになくなってしまいました。そしてわたしは、ともこさんといっしょにげんばくのおそろしさを知りました。げんばくでけがをしなくても、ほうしゃのうのせいで、十年後、二十年後にいずれ、命をおとすということを。さだこさんはまだ、たくさんしたいことがあったと思うし、たくさん知りたいことがあったと思います。そんなたくさんの人々の願いとともに、戦争をしたせいですべてが消えた。わたしはそして、戦争はぜったいするべきではないと、深く思いました。

 わたしは、この学習をして、平和のことについて、くわしく知ることができました。平和は、みんなが幸せに、みんながみんなを、思いやれることだと思います。わたしは、日本だけでなく、世界中のみんなが平和な人生を歩めることを願います。このことを一人一人が思うことで、またみんなが平和になれる一歩だと思います。

 これからわたしは、戦争で命をおとした人たちのことをわすれずに生きていこうと思いました。なぜなら、今わたしたちはとても幸せだからです。そして、今わたしたちが幸せなのは、戦争でたくさんの命をおとしてきた人が今の平和を教えてくれたと思うからです。

優秀賞

長南小学校6年生 南 玲那 さん  人権が守られる社会

 私は、人権が守られる社会とはどんなものかと考えたら、二つの考えが出ました。

 まず一つ目は、「明るい社会」です。なぜ「明るい社会」だと人権が守られると考えたかというと、社会が明るいということは、ルールが守られているということです。ルールが守られているということは、一人一人がいやな思いをしないということです。その「いやな思い」というのは、学校などで起こってしまういじめや、職場などであるパワハラなどのことです。いやな思いをしないようにするためには、一人一人が学校や職場などの社会でのルールを守ることが大事だと思います。それと、もう一つ理由があります。私が実際に体験したことですが、私が電車に乗っている時、ある人が優先座席ではない席に座っていました。何駅か過ぎた後、おばあちゃんが乗ってきました。するとその人が、席をゆずってあげていたのを見ました。私はそれを今度、やってみたいと思いました。ちがう日に私が座っていて、まわりを見ると、おばあちゃんが立っていました。その時、前の出来事を思い出しておばあちゃんに席をゆずりました。そうすると、おばあちゃんも私も自然と笑顔になりました。このことで、ルールを守ることだけでなく、こういった思いやりの心も、大切なんだと思いました。

 二つ目の考えは「戦争のない社会」です。なぜ「戦争のない社会」だと人権が守られると考えたかというと、戦争がおこっている所では関係のない人達が無差別に殺されたり、傷付けられたりしてしまうからです。それで、戦争を防ぐために私ができることは何かと考えました。私の考えは、「戦争」というのは、「国と国とのケンカ」のようなものだから、私自身が友達との小さなケンカをあまりしないようにするということです。あと、一つ目の考えにつながりますが、「いじめ」もしないようにするということです。一人一人が同じように考えて、ケンカをしないようにすれば、国と国とのケンカも無くなると思います。

 人権が守られる社会とはどんなものと考えて私が一番大事だと思ったことは、「守る」ということです。その中でも、「マナーを守る」「ルールを守る」「平和を守る」そして、「人権を守る」ことは本当に大切だと思いました。

優秀賞

末広小学校5年生 庄禮 理穂 さん  なかま

 私は、三・四年生のころから女の子同士の友達関係に悩んできました。グループの中で仲間はずれにされたり、無視されたりしました。私の担任の先生と学年の先生が学年集会を開いてくれて、話をしてくれましたが、三・四年生の時は、本当に学校に行くのがいやでした。最近では、通りすがりに「死ね。」と言われたり、家の近所の道ばたに私のフルネームの後に「死ね」という言葉も書かれたりしました。

 私は、なぜ仲間はずれにされるのか、なぜ「死ね」と言われるのか、考えたりもしました。私は小さいときから、曲がった事やルールを守らないことが大きらいでした。そのような事をする友達がいたら、すぐに注意してしまいます。それに、学級代表をするなど、自己主張が強い性格です。それが原因で「うざい」と思われていたんだと思います。

 五年生になってからクラスも担任の先生も変わり、気の合う友達もできて、担任の先生も私の悩みを聞いてくれたり、問題を解決してくれようと必死になってくれます。だから、前に比べて学校に行くのがいやではなくなりました。でも、私が悩んでいた時に、一番私を救ってくれたのは、ダンスのなかまでした。いやな事があった時に、ダンスに行ってなかまと一緒に踊るといやな事を忘れることができました。ダンスは、一人一人が自分の個性を出して、思うがままに表現して踊る子が多いのです。つまり、みんなそれぞれ自己主張が強く、個性が強い仲間なのです。だから、ダンスとダンスの仲間は、私の大切な居場所です。

 私は、ダンスを通して仲間の大切さ、自分を理解してくれる仲間や家族のありがたみがわかりました。この気持ちを大切に、私は、私らしく、むねを張って成長していきたいと思います。

中学校

最優秀賞

長南中学校2年生 仲村 真樹 さん  子どもの権利

 私の六年間の思い出がつまったランドセルは今、アフガニスタンの女の子が大切につかってくれていると思います。私のランドセルは、国際協力NGOジョイセフの「想い出のランドセルギフト」というプロジェクトに送りました。このプロジェクトを知ったきっかけは、六年生の夏休みに読書感想文でマララさんの本を読み、学校に行きたくても行けない女の子がたくさんいることを知り、私にもなにか出来ることはないかと思い、調べてみたのがきっかけです。この体験から私は、世界の女の子がどんな日々を過ごしているのか、気になりました。

 今、世界中の成人のおよそ六人に一人が読み書きができないそうです。理由は、戦争、貧困、女性だからというもので、特に発展途上国に多いそうです。子どもにはどうしても解決できない理由ばかりです。どうして、大人は子どもの将来の可能性を狭めるようなことをするのでしょうか。

 マララさんが、国連でスピーチをした内容の中に、「ペンは剣より強し」ということわざがありました。私もその通りだと思います。武力は、なんの問題も解決しません。そして、命のバトンの敵です。でも、教育を受けることで救われる命がたくさんあると思います。例えば、発展途上国では、十分に教育を受けられないまま十代で結婚し、妊娠するが読み書きができずに正しい知識を得ることができないまま命の危険にあったり、親が教育を受けずに育つと子どもも同じように教育を受けないまま育つ、負の連鎖が続いていきます。また、読み書きができないと仕事につけず、お金に困ることになったり、私達があたりまえにしている生活でさえ、わからないことだらけで、不自由だと思います。私は、教育を受けるということは、生きるための知識をつけることだと世界の教育の現状を知りわかりました。

 私は、教育の大切さを改めて感じました。そして、教育をうけられることに感謝しないといけないなと思いました。私も女性ですが、生きるための知識を身につけ、将来の夢を自由に選択することができます。でも、世界ではそれができずに、私と同じ位の女の子がお母さんになり、家事が忙しかったり、さまざまな事情で、学校に行けない子がたくさんいることに驚きました。私は、マララさんのように命を危険にしてまで、

「教育を受けることは、全ての人にある権利。」

だと正直、言える自信はありません。でも、そう思っている人は、私やマララさんの他にもたくさんいると思います。今、私達に出来ることは、学校に行くこと、友達や家族がいること、なにかに打ち込める環境があること、将来の選択ができること、あたりまえだと思っている日々があることに感謝することだと思います。アフガニスタンのランドセルをもらった女の子には、たくさん勉強して、生きるための知識をつけてほしいし、学ぶ楽しさを知ってほしいです。

 学ぶ権利は、生きるために必要なことであり、誰もが持つ権利だと思います。世界中の少年・少女が教育を受けることで、世界は今よりいいものになっていくと思います。マララさんは、

「一人の子供、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられる。」

と言っていました。私もそう信じています。

優秀賞

長南中学校3年生 岩下 裕香 さん  思いやりは平和への第一歩

 一九四五年八月十五日、アメリカが広島と長崎に原爆を投下し、太平洋戦争が終わりました。今でも「原爆のおかげで戦争が終わったのだから、原爆は必要だった。」と考える人がいます。でも私は違うと思います。投下後の写真を見れば誰にでも、原爆の凄まじい威力や、原爆による被害の大きさが簡単に想像できます。原爆は家族や友達、自分の家や学校まで、何もかもを一瞬で奪っていくのです。

 私が平和学習をする中で、わかったことが三つあります。一つ目は自分がとても恵まれているということです。戦争中はどれだけ平和を願っても、叶いませんでしたが、今は平和について考えていなくても平和に暮らすことができています。

 二つ目はあたりまえは幸せであるということです。友達と喋れることも、毎日学校に行くことができるのも、ご飯を食べられるのも幸せなことなのです。そしてその幸せを実現してくれている身近な人達に感謝の気持ちを持つことは大切だと思います。それに、いつ何が起こるかわかりません。普段の感謝をこめて「ありがとう。」と言うのは照れるし恥ずかしいかもしれないけど、感謝を伝えたいと思ったときに、その機会があるとは限らないのです。そういう風に考えると、「言葉にして伝えるのは難しいけど、その人の役に立ちたい、その人を笑顔にしたい。」と思うようになりました。

 そして三つ目は、戦争は絶対にしてはいけないということです。二つ目にもあったように、今のあたりまえなことは幸せなことです。その幸せを失わないために、戦争はしてはいけないことです。それに戦争は、人の命や幸せなど色々なものを奪うけど、戦争をして得ることはほとんどないのです。戦争をした後には、憎しみや悲しみしか残らないのです。

 戦争が終わった今、もし戦争があって良かったことがあるとするなら、今の私達の反面教師となったことです。日本は戦争という失敗をしました。日本が戦争でぼろぼろになって、良いことがなかったのを今の私達は知っているからこそ、平和の大切さがわかるのです。

 そもそも「平和」とは何なのでしょうか。私の考える平和の条件は「犯罪や暴力がないこと」と「思いやりをもつこと」です。私は世界平和が実現されるとは思いません。たった二つだけの条件ですが、これを達成するのは本当に難しいです。犯罪がないのなら牢屋は必要ないし、全ての人に思いやりがあるのなら清掃ボランティアも必要ないのです。

 私は自分のルールをつくっています。その中に「一日一回は誰かにありがとうと言われる」、「困っている人がいたら助ける」というのがあります。それは私が「ありがとう」と言われたい、自分を元気にしたいからです。すごく地道だけど、私は良い人になって周りに良い影響を与えたい、そうしたら人のことを考えられる人が増えて、私の考える平和につながっていくと思います。みなさんも、どんなに小さくても良いことをもっとしてみませんか。

優秀賞

長南中学校3年生 福井 樹生 さん  なんでもない日

 「なんでもない日おめでとう。」これは去年の八月九日に、ツイッターでディズニーの公式アカウントが投稿したものです。僕は今年の八月九日の学校の平和登校日に、このことを知りました。ディズニーは、「不思議の国のアリス」の中での歌の一部、として投稿したのですが、その日が長崎に原爆が投下された日だったために、ツイッターが炎上しました。その後ディズニー・ジャパンは謝罪し、投稿削除しましたが、多くの人の記憶に残ったことでしょう。

 この言葉には、誕生日は一年に一日しか無いが残りの三百六十四日も楽しもう、という思いが込められています。たしかに毎日を楽しみ、祝うことは良いことです。しかし、その毎日は誰かの誕生日であり、誰かの命日であり、誰かの大切な日であることを忘れてはいけないのだと感じました。八月九日という日付に関わらず、昔も、現在も、おそらく未来も、醜い戦争のために多くの命が失われるということを忘れてはいけないということにも気付かされ、日常を送る自分の暖気さに情けなくなりました。

 そして、今回の平和登校日まで、「長崎原爆の日」について、僕は日付と場所しか知りませんでした。一九四五年八月九日十一時二分、第一目標の福岡県小倉市が天候不良のため、第二目標の長崎県長崎市に原子爆弾が落とされました。ボックスカーという爆撃機から、ファットマンというコードネームの爆弾が落とされて、長崎市の人口二十四万人のうち七万人以上の命が失われ、建物の三十六パーセントが全焼、または全半壊したということ――僕はたくさんの事実を学ぶことができました。しかし、僕は戦争と平和についてまだまだ知らないことがたくさんあり、学ばなければいけません。これまでの九年間の平和学習を振り返り、これからも事実を知り、それを周囲の人にも発信していきたいとおもいました。

 人間は失敗をします。約七十年前には第二次世界大戦という世界規模の過ちを、去年にはディズニー・ジャパンの投稿によって多くの人が怒り、傷ついてしまうという失態を演じてしまいました。しかし、その失敗があることで、本人や、その事に関わった人、知った人がさまざまなことを学ぶことができる。忘れていたり知らなかった事の大切さに気付くことができる、と僕は思っています。戦争を経験した人が減り、戦争の記憶が風化されている今、僕たちに必要なのは「知る」ということだと思います。それだけで過ちの繰り返しは防ぐことができるでしょう。

 今回、「なんでもない日」の投稿の事を知り、言葉の大切さも学びました。自分が発する言葉ひとつひとつが、いつ、誰を傷つけるかわからないという恐ろしさ。そしてそれに対する意見により、言葉を発した本人、意見を発する人、僕のように後で知る人、たくさんの人が学ぶことができるということを知ることができました。だから、「なんでもない日」は、多くの人が平和について考えられたとても良い日になったといえるでしょう。「なんでもない日」を祝う前に、その日を知り、学び、考えることが大事なのではないでしょうか。

お問い合わせ
学校教育課 <e-mail:g-kyouiku@city.izumisano.lg.jp>
電話番号:072-463-1212(内線2331~2335)
FAX番号:072-469-5267

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