日根荘遺跡とは

 

日根荘遺跡(ひねのしょういせき)とは

日根荘遺跡(ひねのしょういせき)とは

 

日根荘は鎌倉時代から戦国時代にかけて、現在の泉佐野市域にあった九条家領(くじょうけりょう)の荘園(しょうえん)です。有力貴族の五摂家(ごせっけ)の一つである九条家により、天福2(1234)年に日根荘が立荘され、宮内庁所蔵の『九条家文書(くじょうけもんじょ)』を中心に当時の様子がわかる「日根野村絵図(ひねのむらえず)」や九条政基(くじょうまさもと)が入山田村長福寺(いりやまだむらちょうふくじ)滞在時に記した『政基公旅引付(まさもとこうたびひきつけ)』などの文書がたくさん残されていることから、当時のことを解明する手がかりがたくさんあり、また絵図で描かれた寺社堂などの建築物やため池、丘陵などの景観が現在でもよく残されていることで、全国的にも有名な中世の荘園遺跡となっています。 この歴史的景観を構成するものの中から、寺社やため池・水路など14か所が平成10年に「日根荘遺跡(ひねのしょういせき)」として国史跡に指定されました。平成17年に領主であった九条政基が滞在したとされる長福寺跡(ちょうふくじあと)が、平成25年10月には土丸・雨山城跡が追加指定され、平成25年10月末現在16か所が国史跡となっています。

 

国史跡日根荘遺跡指定地一覧
No. 名称 所在地
1 日根神社 日根野
2 慈眼院 日根野
3 総福寺 日根野
4 野々宮跡 日根野
5 新道出牛神 日根野
6 十二谷池 日根野
7 八重治池 日根野
8 尼津池 日根野
9 井川 日根野
10 火走神社 大木
11 香積寺跡 大木
12 蓮華寺 大木
13 毘沙門堂 大木
14 円満寺 大木
15 長福寺跡 大木
16 土丸・雨山城跡 土丸・熊取町

 

史跡指定地(No.あり)

史跡指定地の紹介

史跡指定地(日根野地区)

日根神社(ひねじんじゃ)

樫井川流域の開発と関係が深い神社で、日根荘全体の鎮守でした。「日根野村絵図(ひねのむらえず)」には「大井関大明神」と記されています。大井関の名は境内を流れる井川を司る神社であったことに由来するものと考えられます。『旅引付』には、毎年4月2日に祭礼があり猿楽の奉納や競馬、弓矢神事などが盛大に行われていたと記されています。九条政基が帰洛後、豊臣秀吉の紀州攻めにより焼失しますが、秀頼により再建され、現在は本殿と比売神社本殿が大阪府指定文化財となっています。毎年5月に飾りまくらをつけた3基の幟が五穀豊穣や安産などを願って巡行する、まくら祭の宮入りが日根神社で行われます。まくら祭は泉佐野市の文化財に指定されています。

日根神社拝殿
日根神社拝殿
比売神社本殿
比売神社本殿

慈眼院(じげんいん)

 

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真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)の寺院で、九条家の日根荘経営で重要な役割を担っていたと考えられます。「日根野村絵図」に描かれる無辺光院(むへんこういん)の後身とする説もあります。寛文5(1665)年に仁和寺門跡(にんなじもんぜき)から慈眼院の院号(いんごう)が賜与されています。境内には文永8(1271)年に建立された多宝塔(たほうとう)・金堂(こんどう)があり、国宝・重要文化財に指定されています。

慈眼院多宝塔
多宝塔
慈眼院金堂
金堂

総福寺(そうふくじ)

 

「日根野村絵図」に記される禅林寺(ぜんりんじ)に比定されています。境内の南側に天満宮があり、天正年間(1573~1585)に建てられた本殿は一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)で重要文化財に指定されています。「九条家文書」には「天満宮」「天神社」がみえ、「御湯立(おゆたて)」の行事が行われたと記されていますが、この天満宮がそれにあたると考えられます。

総福寺天満宮
総福寺天満宮

野々宮跡(ののみやあと)

 

「日根野村絵図」に丹生大明神(にゅうだいみょうじん)として描かれ、『旅引付』にも日根野野宮(ひねののみや)の祭礼についての記述が見られます。境内地は井川水路のそばまで広がり、水利や開発と関係の深い神社であったと考えられます。神社合祀(じんじゃごうし)により社殿などが日根神社境内へと移転し、旧境内地の本殿付近には野々宮跡の石碑が建てられています。

野々宮跡
野々宮跡

新道出牛神(しんどうでうしがみ)

 

「日根野村絵図」に牛神松(うしがみまつ)が描かれています。牛神の信仰は年に1度、農作業などで活躍する牛をつれてお参りをするもので、泉南地域では広く行われていました。日根野地区では新道出(しんどうで)の他に西上(にしうえ)などにも牛神の碑が残っています。新道出牛神は近世には牛神座(うしがみざ)があり、現在でも8月に祭りが催されます。

新道出牛神
新道出牛神

十二谷池(じゅうにだにいけ)

 

「日根野村絵図」に描かれる住持谷池(じゅうじたにいけ)にあたります。この池は「日根野村・井原村(いはらむら)絵図」にも描かれています。井川によって樫井川から取水し、日根野から広範囲の水田に灌漑しています。嘉吉元(1441)年には十二谷新池(下池)が築かれ、日根野村・井原村・壇波羅密寺村(だんばらみつじむら)による共同利用の契約をした資料が残されています。

十二谷池
十二谷池

八重治池(やえじいけ)

 

日根荘成立時の天福2(1234)年には既に存在していた八重池(やえいけ)と考えられます。「日根野村絵図」にも描かれています。現在は大池(おおいけ)・尼津池(あまづいけ)・十二谷池などと連結して水系を形成しています。

八重治池
八重治池

尼津池(あまづいけ)

 

日根荘成立時の天福2(1234)年には既に存在していた甘漬池(あまづけいけ)と考えられ、日根野村域の開発の原動力になったと思われます。後に上流部に大池が築造されるまでは、丘陵部のため池群の親池であったと考えられます。現在でも尼津池からの水路は井川までの範囲を灌漑しています。

尼津池
尼津池

井川(ゆかわ)

 

樫井川から取水する水路で、日根荘の中位段丘面の開発に重要な役割を果たしたと考えられます。開削時期は不明ですが、日根荘成立時には部分的に利用されていたと考えられます。土丸(つちまる)の取水口から日根神社と慈眼院の境内の中を流れ、十二谷池まで延長約2.75kmを高度差約3mで流れるようにつくられています。現在も日根野地区の主要な水路で広範囲を灌漑しています。

日根神社境内の井川
日根神社境内の井川
慈眼院境内の井川
慈眼院境内の井川

大木地区の史跡指定地

大木地区史跡指定地

火走神社(ひばしりじんじゃ)

 

九条政基在荘時は、入山田村(いりやまだむら)四か村(舟淵(ふなぶち)・菖蒲(しょうぶ)・大木(おおぎ)・槌丸(つちまる))全体の神社で、滝大明神(たきだいみょうじん)、滝宮(たきのみや)と呼ばれました。政基が筆写した「犬鳴山七宝滝寺縁起(いぬなきさんしっぽうりゅうじえんぎ)」には、七宝滝寺との関連も記され、『政基公旅引付』には、滝宮を舞台とした記事も多く見られます。入山田という名称は現在ほとんど使われていませんが、江戸時代につくられた湯釜や灯籠の銘文に「入山田荘(いりやまだのしょう)」とあり、四か村のまとまりを示す地名として伝えられていました。 また秋季祭礼では、泉州地域でも珍しい形態となっただんじりを担ぐ、担い(にない)ダンジリの宮入りが行われます。この担いダンジリ行事と火走神社本殿は、泉佐野市の文化財に指定されています。また、本殿の右側に建てられている摂社幸神社本殿(せっしゃみゆきじんじゃほんでん)は、重要文化財に指定されています。

火走神社
火走神社
摂社幸神社本殿
摂社幸神社本殿

香積寺跡(こうせきじあと)

 

『政基公旅引付』に歳末や年始に際して政基に伺候する香積寺の僧侶が記され、香積院(こうしゃくいん)と記される寺院も同一と考えられます。江戸時代の絵図には光若寺(こうにゃくじ)とみえますが、現在は廃寺となっています。指定地内には寛正4(1463)年の一石五輪塔や天正年間の宝筺印塔(ほうぎょういんとう)、石造物等をはじめ中近世の石造物が残されています。

香積寺跡
香積寺跡
香積寺跡石造物
香積寺跡石造物

蓮華寺(れんげじ)

 

蓮華寺の名は『政基公旅引付』に見えます。入山田村には蓮華寺が土丸と上大木(かみおおぎ)の二か所にあります。上大木の蓮華寺は、応永24(1417)年の資料(九条家文書)で舟淵村(ふなぶちむら)の項に蓮華寺の記載があり、中世には存在していました。現在は上大木地区の集会所として使用され、講などが行われています。境内には、中世の石仏や一石五輪塔(いっせきごりんとう)などの石造物が残されています。

蓮華寺
蓮華寺

毘沙門堂(びしゃもんどう)

 

毘沙門堂としては資料中に見えませんが、この堂のある谷筋は五所谷(ごしょだに)(御所谷)と呼ばれ、『旅引付』には「御所谷集会所(ごしょだにしゅうかいじょ)」が記されています。境内には、正平3(1348)年の板碑など石造物があります。現在も谷筋の人々によって講(こう)が行われています。

毘沙門堂
毘沙門堂
板碑
板碑

円満寺(えんまんじ)

 

文亀3(1503)年に入山田の人々が円満寺で般若心経一万巻(はんにゃしんきょういちまんかん)を購読して祈祷し、一万度参り(いちまんどまいり)をしたことが記載されています。また政基によって番頭が拘禁された窃盗犯が留置されたりする場ともなっていました。守護方の乱入に際しては早鐘を鳴らして住民を招集することもありました。 現在は、下大木(しもおおぎ)地区の集会所として利用され、講も行われています。

円満寺
円満寺

長福寺跡(ちょうふくじあと)

 

長福寺は、文亀元(1501)年に九条政基(くじょうまさもと)が日根荘に下向し、入山田村(いりやまだむら)に入って永正元(1504)年に帰京するまでの4年間、政基の居所となった寺院です。慶長16(1611)年の資料を最後に長福寺の名が見えず、江戸時代に作成された寺社明細帳(じしゃめいさいちょう)でも確認することができないことから、この間に廃絶したものと思われます。これまで字名(あざめい)「長福寺」の水田が所在地と考えられてきましたが、平成14・15年度に実施した発掘調査により、大量の瓦とともに建物跡・園池・井戸・石組みの暗渠(あんきょ)水路などが発見され、寺院跡と確認されました。 現在長福寺跡の一部では、地元とともに史跡の維持管理と周辺景観との調和を目指した野外展示として稲作を実施しています。

建物跡・園池
建物跡・園池
長福寺跡
長福寺跡

土丸・雨山城跡(つちまる・あめやまじょうあと)

 

平成21年度から泉佐野市教育委員会と熊取町教育委員会が合同で文化財調査に着手しました。雨山と土丸山(城ノ山(じょのやま))の2つの山頂付近に、南北朝期から戦国期(1300~1600年頃)にかけての曲輪(くるわ)、武者隠し(むしゃかくし)、堀切(ほりきり)など城郭に関わる当時のさまざまな遺構が確認され、これらが一つの山城として機能したことがわかりました。『政基公旅引付』にも戦乱から逃れようと山にこもったとの記録も残っており、さらに古くから信仰の山としても地域に愛されて続けています。 平成25年10月17日に追加指定されました。

土丸・雨山城跡
土丸・雨山城跡位置図

 
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文化財保護課 <e-mail:bunkazai@city.izumisano.lg.jp>
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