北中小学校沿革史
- 明治以前
昭和5年御大典を記念して編さんされた北中通村史によれば、寺子屋で僧侶、名主、又は篤学者につき、読書、算盤、習字等を学習した。が、その程度はわずかに自己の姓名を書き日用を辨じ得る程度に過ぎず・・・とあるが、本校区では光泉寺(鶴原)元成寺(佐野川)善正寺(王寺)へ通ったようである。 - 明治6年6月
創立
鶴原・下瓦屋・浦田・沢の四カ村を学区域とする。(第24番小学校)
教師は男3名
生徒は男76名、女36名、計102名
校地:196坪
学区の人口
鶴原:270戸・1508人
下瓦屋:131戸・652人 - 明治8年
沢・浦田の二村分離する。北中通村の内、大字鶴原・下瓦屋を学区と定める。
進級試験があり、試験に受かれば次々と上がっていけたようである。 - 明治17年6月
第三大区第七学区25番学校と称する。
この当時の教科書は、国語と算数が一冊になり、表紙には「生徒必携」としるされていたようである。 - 明治18年1月
初等・中等小学校を設置する。 - 明治19年11月
鶴原尋常小学校と改称する。 - 明治21年4月
鶴原簡易小学校と改称する。 - 明治23年11月
教育勅語謄本を拝受する。
- 明治26年12月
鶴原尋常小学校と改称する。
- 明治30年
校区の戸数416戸
人口:男1337人、女1268人
- 明治41年11月
成申詔謄本を受領する。
校区の戸数491戸
人口:男1503人、女1488人
- 明治42年
義務教育延長。
学用品は風呂敷につつみ、ぞうりや下駄をはいていた。
当時は石板や石筆を使っていた。
- 明治44年10月
北中通東尋常小学校と改称する。新校舎落成。
北中通村大字鶴原2533番196坪の旧校舎幼稚より鶴原2517,2518,519番の合併地865坪に移転した。
- 大正8年4月
高等小学校を併置。
校名を北中通尋常高等小学校と改称する。
成績のつけ方は十点法で、成績が優秀であると、品行方正、学業優等賞をもらった。
校区の戸数952戸
人口:男2900人、女3043人
- 大正8年
二教室を増築、校地1165坪
当時の運動会は着物、はかま、たびのままで走ったようである。今の体育の服装とは大きなちがいである。運動会の種目は、走りがおもであった。遠足はみんなで金熊寺まで歩いた。
- 大正12年1月
北中通女子実業補習学校を併受する。
四教室を増築、校地1645坪
- 昭和3年
講堂、応接室、職員室、八教室増築。
(二階建)校地1645坪
大阪市西区靱小学校校舎を買収増築。運動場用地を買収し拡張した。
- 昭和3年10月
御真影を拝載する。理科、工作二教室を新築する。
- 昭和10年4月
北中通女子実業補習学校を、北中通女子青年学校と改称する。
校区の戸数1362戸
人口:男3596人、女3538人
- 昭和11年
一教室新築。
- 昭和16年4月
北中国民学校と改称する。
校区の戸数567戸
人口:男13504人、女14643人
- 昭和22年4月
佐野町立北中小学校と改称する。
六・三制の義務教育が実施された。ユニフォーム姿もりりしい、野球チームが誕生した。
- 昭和23年4月
市制施行により泉佐野市立北中小学校と改称する。
終戦後門標が二つあげられた。
- 昭和25年
校舎老朽、校地狭小のため東方150米の地に用地買収。
広さ:田地4157坪
校区町総代、市会議員、PTA役員等は、校区民の意志を集め、校舎移転改築の議を起こし遂に買収契約が成立した。
- 昭和27年1月
新校地南側に四教室建築のために地鎮祭(第一期工事)
建坪111坪5合、建物:四教室と便所
工費215万円
- 昭和27年4月
竣工
- 昭和27年10月
第二期工事に着手。
第一校舎、第一期工事の続き五教室
第二校舎、五教室と便所一カ所
給食室、渡廊下ができた。
- 昭和28年3月
竣工
- 昭和28年4月
第三期工事
二教室が増築された。
- 昭和28年6月
竣工
- 昭和28年12月
第四期工事
普通教室七、理科室一、便所二、管理棟、その他(井戸屋形 渡廊下)
- 昭和29年4月
竣工:使用開始
- 昭和29年6月
新校舎移転、改築完了
落成式
鉄柵工事国道26号線
沿に着工
移転改築当初計画の特別教室を含む24教室及び管理棟の建設終了につき、6月1日関係者、敷地提供の人達約100名を招いて落成式を行った。翌2日、3日を記念行事の日とし、小体育会展覧会、ヘリコプターの着陸見学等を行った。
- 昭和30年
北中子どもの歌を制定
移転改築竣工記念行事として、また創立80周年を記念して制定された。
作曲:宮田和氏
- 昭和33年3月
鉄筋校舎竣工
学校水泳はプールがなかったので、広々した海で行われた。鉄筋で二階は講堂。一階に六教室あり市内でもめずらしかった。
- 昭和34年12月
正門、北通用門竣工
門標は学校長の筆蹟を玉井義一氏が刻んだものである。
- 昭和35年11月
渡廊下竣工
これにより管理棟と鉄筋校舎との連絡が便利となった。
- 昭和37年8月
校区の戸数及び人口
泉ヶ丘:戸数185、男306、女295、計601
新家:戸数245、男480、女485、計965
貝田:戸数373、男536、女556、計1092
鶴原東:戸数334、男660、女699、計1359
下瓦屋南:戸数71、男147、女154、計301
鶴原:戸数681、男1509、女1604、計3113
下瓦屋:戸数489、男1075、女1033、計2106
- 昭和39年7月
ブロック塀竣工
- 昭和39年8月
給食室竣工
近代的な給食場が出来上がり子どもたちは給食を楽しみにしている。
- 昭和41年4月
北中小学校分校併置
泉ヶ丘、鶴原東、下瓦屋南、新家、貝田の1年より3年までが分校へ通った。
- 昭和41年9月
北中小学校分校、長坂小学校として独立。
9月1日お別れの日。全校生徒が校門にならび、別れをおしんで手をふった。
- 昭和44年10月
理科準備室増築
- 昭和45年4月
泉佐野市住吉町北中小学校校区に編入
- 昭和53年3月
鉄筋校舎(管理棟)竣工
- 昭和57年3月
鉄筋校舎(A・B棟)竣工
- 昭和58年4月
中庭庭園造成
- 昭和61年11月
日本PTA全国協議会より表彰
- 平成13年10月
文部科学大臣より表彰(学校給食)
- 平成15年1月
HP開設
1月1日北中小学校ホームページ開設。
- 平成15年11月
日本PTA全国協議会より表彰
- 平成15年
創立130周年
- 平成16年8月
「第2回全日本小学校ホームページ大賞2004」で表彰
J-KIDS大賞実行委員会主催による「第2回全日本小学校ホームページ大賞2004」で、「県優秀校」に選出された。
- 平成17年7月
「第3回全日本小学校ホームページ大賞2005」で表彰
J-KIDS大賞実行委員会主催による「第3回全日本小学校ホームページ大賞2005」で、「県優秀校」に選出された。
- 平成17年10月
第47回近畿音楽教育研究大会出場
研究演奏で6年生全員による合唱を披露し、森ノ宮青少年会館に 素晴らしいハーモニーを響かせた。
- 平成17年12月
第3回大阪子どもジャンプアップ大会で10位
初出場ながら5年生の1チームが決勝に残り10位入賞した。
- 平成18年7月
「第4回全日本小学校ホームページ大賞2006」で表彰
J-KIDS大賞実行委員会主催による「第4回全日本小学校ホームページ大賞2006」で、「県優秀校」に選出された。
- 平成18年7月
大阪府学校給食大会で「優良学校」として表彰
ホームページで毎日給食の写真・コメントを掲載していることと、平成17年度に郷土料理を食す様子がテレビニュースに取り上げられたことなどが評価された。
- 平成18年12月
第4回大阪子どもジャンプアップ大会で5位
エントリーの段階では府1位の記録を持っていた6年生の1チームが決勝に残り5位入賞した。
- 平成19年7月
「第5回全日本小学校ホームページ大賞2007」で表彰
J-KIDS大賞実行委員会主催による「第5回全日本小学校ホームページ大賞2007」で、「県優秀校」に選出された。
(外部リンク)
「ふわふわ言葉」 泉佐野市立北中小学校 平成26年度「こころの再生」府民運動@スクール表彰の審査の結果、北中小学校の「ふわふわ言葉の取組」が評価されて、3月26日に大阪府議会議場で表彰されました。
表彰基準は次の3つです。
(1)「こころの再生」府民運動が提唱する「5つのこころ」(「生命を大切にする」「思いやる」「感謝する」「努力する」「ルールやマナーを守る」)を実践する活動であること。
(2)事業内容が独創的であること。
(3)他の小・中学校等の取組みのモデルとなるもの。
平成26年11月に文部科学省より発行された「いじめの問題に対する取組事例集」冊子に、北中小学校の「セカンドステップ」「ふわふわ言葉の取組」が【特徴的なプログラム】として紹介されました。
今回の表彰も、北中小学校の「ふわふわ言葉の取組」が独創的で色々な工夫をしていて、良い雰囲気づくりに役立つと認められた結果だと思っています。
学校の取組みが広く紹介されることは、大変うれしいことです。今後も「ふわふわ言葉の取組」を推進し、あったかい雰囲気の学校づくりに役立てていきたいと考えています。
この記事に関するお問い合わせ先
北中小学校の仮署名
更新日:2021年08月31日