日本遺産の構成文化財を巡るための案内板の設置について

構成文化財用の案内板(標柱・案内看板)を設置しています。


   日本遺産「日根荘」の構成文化財などを巡るときに利用していただけるように、構成文化財の場所やその近くに標柱あるいは案内看板を設置しています。
   案内看板には、現在地から構成文化財までの距離や周辺の地図を掲載しています。
周辺の地図には、現在地と構成文化財の場所が示されています。
  また、案内看板に掲載されている音声ガイドのQRコード、webサイトのQRコードにスマートフォンをかざすと構成文化財などの詳細な説明が音声や、文字でみることができます。
  標柱にも、現在地から構成文化財までの距離や方向を掲載し、音声ガイドのQRコード、webサイトのQRコードを掲載しています。

構成文化財を訪問する際には、ご活用ください。

【設置箇所】

看板案内先 種類 設置箇所 備考
大木の日本遺産 看板 大木小学校横のフェンス 大木地区の地図に構成文化財の場所、トイレの場所などを記しています。ここでは大木地区の集落内に設置している案内板の場所がわかります。
香積寺跡 看板 上大木町内会看板 『政基公旅引付』に香積寺の僧侶と記されています。指定地内には寛正4年(1463)の一石五輪塔や天正年間の宝篋印塔、石仏などをはじめ中近世の石造物が残されています。
大木HOTALみんまち村の入口
香積寺跡
蓮華寺 看板 蓮華寺駐車場フェンス 『政基公旅引付』、応永24年(1417)の九条家文書にも蓮華寺の記載がみえます。境内には中世の石仏や一石五輪塔などの石造物が残されています。
野那歩の吊り橋 看板 蓮華寺駐車場フェンス 大木地区唯一の吊り橋です。上大木からヤナブ農道の先にある農地(字オンズイ)をつなぐ吊り橋で、樫井川にかかっています。かつてこの橋を通って犬鳴山へ向かいました。
毘沙門堂 看板 火走神社前府道フェンス このお堂のある谷筋は五所谷(御所谷)と呼ばれ、『政基公旅引付』には「御所谷集会所」が記されています。境内に入る左側に正平3年(1348)の板碑をはじめとする石造物があります。
火走神社 看板 火走神社前府道フェンス 政基が在荘していた時は、入山田四か村(船淵、菖蒲、大木、槌丸)全体の神社で、滝大明神、滝宮と呼ばれました。摂社幸神社は重要文化財です。
西光寺 看板 中大木町内会館横のフェンス 応永8年(1401)の棟札が残されており、レプリカが歴史館いずみさのにあります。薬師堂は三間堂・寄棟造の建物です。柱や向拝虹梁など一部に古材が使われています。
円満寺 標柱 円満寺前 『政基公旅引付』には文亀3年(1503)4月5日条に、入山田の人びとが円満寺で般若心経一万巻を購読して祈祷し、大日堂より八王子社へ一万度参りをしたことが記載されています。
土丸極楽寺 標柱 土丸極楽寺前の府道 応永24年(1417)の九条家文書に極楽寺の記載がみえます。修正会・法華八講などが行われています。平安時代末期の木造阿弥陀如来坐像は極楽寺の本尊でレプリカが歴史館いずみさので展示されています。
土丸・雨山城跡 看板 土丸登り口府道沿いフェンス 紀州から和泉、河内への道筋をおさえる立地から、南北朝の戦乱では北朝方の日根野氏や南朝方の橋本正督などがこの城を守り、争奪戦をくりひろげました。
日根神社 標柱 日根神社駐車場 延喜式の式内社で、樫井川が丘陵部から平野部にでるところに位置します。『政基公旅引付』には、毎年4月2日に祭礼があり、猿楽の奉納や競馬、弓矢の神事などが行われたとが記されています。
慈眼院 標柱 東上バス停横 日根神社の隣接地にあり、明治の神仏分離以前は日根神社の神宮寺で大井関御坊とも称されます。境内には文永8年(1271)に建立された多宝塔・金堂があり、それぞれ国宝・重要文化財に指定されています。
総福寺 看板 公園入口フェンス 境内南側には、重要文化財に指定されている天満宮があります。総福寺は、慈眼院所蔵文書には天平3年(731)に行基菩薩が創設したと伝えられています。
新道出牛神 標柱 西上バス停、西上町内会看板横 日根野新道出地区で祀られる牛神の祠です。家で牛を飼っていた人たちは、年に1度、農作業で活躍する牛をつれてこの牛神の祠にお参りをしました。
井川 看板 古川橋のガードレール 土丸で樫井川の水を取水し、十二谷池まで延長約2.75kmを高度差約3mで流れるようにつくられており、日根野地区の広範囲を灌漑しています。開削時期は不明ですが、日根荘成立時には利用されていたと考えられます。
尼津池 標柱 尼津池入口付近の府道沿い 日根荘成立時の天福2年(1234)にはすでに存在していた甘漬池と考えられ、日根野村域の開発の原動力になったと思われます。丘陵部の谷筋をせき止めてつくられています。
八重治池 標柱 八重治池入口付近の市道沿い 日根荘成立時の天福2年(1234)にはすでに存在していた八重治池と考えられます。この池も丘陵部の谷筋をせきとめてつくられた池です。日根野村絵図に描かれています。
十二谷池 看板 水道局前のフェンス 「絵図」に描かれる住持谷池にあたります。熊取町との境にある丘陵部の谷筋をせき止める形で築かれています。樫井川の水を取水し、井川によって日根野から広範囲の水田を灌漑しています。
十二谷池フェンス
蟻通神社 標柱 拝殿横 「絵図」に描かれる穴通にあたります。熊野詣や紀貫之の故事が伝わる長滝村の総社です。もとは四ツ池の近くの熊野街道沿いにありましたが、昭和17年に佐野飛行場建設のため移転しました。
円満寺/長福寺跡 標柱

円満寺/長福寺跡 標柱

大木の日本遺産 案内看板

大木の日本遺産 案内看板

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