日本遺産「日根荘」構成文化財追加認定

令和元年度に日本遺産に認定されました『旅引付と2枚の絵図が伝えるまちー中世日日根荘の風景ー』のストーリーを構成する文化財に、今年度以下の3か所が追加認定されました。

新たに認定された構成文化財

・日根神社本殿
・火走神社本殿
・蟻通神社

これらの文化財は、旅引付や2枚の荘園絵図に登場するもので、現在も地域に人びとのくらしにねづいた文化財です。日本遺産のストーリーを充実させるものとして、追加認定されました。

 

また同時に、ストーリー及びストーリーの構成文化財の内容の一部変更も認定されました。

変更認定されたストーリー 

日本の玄関口、関西国際空港のある泉佐野市には、約800年前、摂政や関白になった上級貴族である五摂家(近衛家・九条家・鷹司家・二条家・一条家)の1つ、九条家の治める「日根荘」とよばれる荘園があり、その範囲は現在の市域すべてに及んでいました。また、16世紀初めに記された九条政基の日記、「政基公旅引付(ひきつけ)」に描かれる世界は、大木地区の荘園時代以来の農村景観として今も息づき、訪れる人を魅了します。現地に生きる人びとの営みが絶えることなく進化し、維持されてきたこの魅力ある懐かしい風景は、どのようにして作られてきたのでしょうか。その答えの1つが、日根野地区を開発するために描かれた鎌倉時代の二枚の絵図に隠されています。

二枚の荘園絵図

1234年、日根荘が成立します。経営の一番の難題は、広大な未開地の開発でした。1309年、九条家は日根荘の土地調査に着手しますが、その際に作成された二枚の絵図にはきわめて克明に村の水路やため池、寺社などが描かれています。それらは驚くほど現存するものと一致します。
開発の主要プロジェクトが井川水路の整備でした。井川は日根神社と慈眼院の間を通り、段丘面に広がる農地を抜けながら、十二谷池まで続く全長約2.75キロメートルを高度差わずか約3mで流れるように作られました。その緻密で大がかりな土木工事からは、村人たちの血のにじむような努力が伝わってきます。
当時作られたため池も、今なお田畑に恵の水を注ぎ、人々に実りを与えてくれます。大開発によって発展を遂げた日根荘は、九条家の所有する全国約30カ所の荘園の中で自らが開発した重要な荘園へと成長します。
では、当時の生活はどのようなものだったのでしょうか。

◆貴族の日記-「政基公旅引付」-

時は戦国時代。武士によって荘園経営が危うくなり始めたころ、領主である九条政基は、入山田村、当時の大木地区にあった長福寺に1501年から4年間滞在しました。
この4年間の様子や出来事を政基は日記につづっています。

梅は花 松はみどりの 春の日の めぐみぞ四方に 天満る神

梅が花開き、松が緑を色濃くする春の日の恵が四方のいたるところに満ちているのは、天満天神のおかげです。
滞在中、政基は貴族らしく連歌などを催しましたが、荘園の春色を尊ぶこの歌からは、当時 の天神信仰が伺えます。総福寺に天満宮の小さなお社がたたずんでいます。

「風情といい、いう詞といい、都の能者に恥じず」

旱ばつに悩まされる大木の村人たちは、滝宮(火走神社)で雨乞いの儀式を行いました。雨喜の風流で奉納された能は、姿かたちといい、言葉の言い回しといい、都の能に恥じないものだと政基は称賛しました。火走神社の雨乞いでも雨が降らない時は、犬鳴山七宝瀧寺で神事を行いました。
今も神社では収穫感謝の神事がホタキ神事として行われています。
古来より修験道の聖地として七宝瀧寺が鎮座する犬鳴山。山号の名は大蛇から主人の命を守った義犬伝説に由来し、大阪府内では珍しく温泉郷があります。

「舞の手共、当道なほ勝劣あるべからざるものなり」

入山田村の人びとの舞の所作も都の役者と優劣つけがたいほどのものと政基は褒めたたえています。
大井関大明神(日根神社)では毎年4月2日に例祭が行われていました。そこで行われた芸能も政基はめずらしいといいます。


井川をはさんで隣接する慈眼院には日本三名塔のひとつである多宝塔が、750年の間変わることなく優雅に佇んでいます。政基は慈眼院に滞在することもありました。
今は地域の集会所になっている大木の円満寺では、外からの軍勢の襲来を、早鐘を鳴らし村中に伝えました。
資料をもとに歴史をたどると、荘園に生きた人々の軌跡が見えてきます。また、現存する当時の建造物や遺跡は今もなお、中世の面影を残し、受け継がれています。このように日根荘は、当時の支配や村人の生活、信仰の様相や開発のあり方を具体的に示してくれるとともに、中世の村の姿を追体験できる全国でも希少な荘園の1つです。

◆中世の息吹

中世から芸能に優れていた火走神社や日根神社での伝統的な祭りには、今も多くの人々が集まり、賑わいをみせています。ハイキングコースとして親しまれている土丸・雨山城跡は、戦乱の跡をかき消すように、木漏れ日がやさしく照らし、訪れる登山者を迎えてくれます。この山頂からは、海上に浮かぶ国際空港をバックに中世の農村景観が一面に望むことができ、その意外性がトレッカー達の人気スポットとなっています。

室町時代、全国で12ヶ所に減少した九条家荘園の中でも、日根荘は重要でありつづけました。土丸・雨山城跡の頂から望む現在の日根荘。この景色は地域の営みの中で日々変化を続けながらも、荘園の礎がしっかりと守られ続けているのです。それは、この地を創り、受け継いできた人々の息づかいなのだということを、訪れる人びとに語りかけてくれます。

 

 

蟻通神社

新たに構成文化財に認定された蟻通神社

ストーリーの構成文化財一覧表
番号 文化財の名称 指定等の状況 ストーリーの中の位置づけ
1 日根荘遺跡ひねのしょういせき(16ケ所) 国史跡 地域の営みの中で日々変化を続けながらも荘園の礎を守り伝えられる中世からの建造物や景色が今に残る。
2 日根荘大木ひねのしょうおおぎ農村(のうそん)景観(けいかん) 重要文化的景観 地域の気候風土に合わせて中世から受け継がれてきた土地利用の在り方が魅了された景観を保持している。
3 犬鳴山(いぬなきさん) 府名勝 古来より葛城修験道の聖地とそこに息づく神事の継承
4 火走神社(ひばしりじんじゃ)摂社(せっしゃ)(みゆき)神社本殿(じんじゃほんでん) 重要文化財
(建造物)
日根荘入山田村の総社である火走神社の摂社で、室町後期に造営された社殿が今も継承されている。
5 ()眼院(げんいん) 多宝塔(たほうとう) 国宝
(建造物)
鎌倉時代建立。日根神社の神宮寺としての古い姿を残す。
6 ()眼院(げんいん) 金堂(こんどう) 重要文化財
(建造物)
日根荘政所と思われる。鎌倉時代建立。日根神社の神宮寺としての古い姿を残す。
7 総福寺(そうふくじ)鎮守(ちんじゅ)天満(てんまん)宮本(ぐうほん)殿(でん) 重要文化財
(建造物)
久ノ木にある総福寺の境内社。本堂は天正4年(1576)に建立。旅引付に記される天神信仰が現在の天満宮でも信仰されている。
8 日根(ひね)神社(じんじゃ)末社比売(まっしゃひめ)神社本(じんじゃほん)殿(でん) 大阪府指定
(建造物)
溝口大明神とも呼ばれ、農業用水の恵みを願う信仰が日根荘時代より続く。後に日根神社に合祀。
9 ()眼院(げんいん)大日如来(だいにちにょらい)坐像(ざぞう) 大阪府指定
(彫刻)
平安時代末期、貴族の美意識にかなった彫刻様式である藤原流の系統をもつ優美な彫刻。
10 中大木地区木造薬師如来坐像及(なかおおぎちくもくぞうやくしにょらいざぞうおよび)両脇(りょうわき)侍像(じぞう) 大阪府指定
(彫刻)
平安時代末期、貴族の美意識にかなった彫刻様式である藤原流の系統をもつ優美な彫刻。西光寺は七宝瀧寺の元末寺。薬師講が今も継承されている。
11 七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ)(どう)(ばち) 大阪府指定
(工芸)
弘安2年(1279)の銘が彫られる鋳銅製、蓋付きの鉢である。法華会の仏具と思われる。
12 七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ)絹本著(けんぽんちゃく)(しょく)不動明王二童子四十八使者図(ふどうみょうおうにどうじしじゅうはちししゃず ) 大阪府指定
(絵画)
四十八使者図を伴う不動明王を描く絵画で、日根荘に由来し、南北朝期の葛城修験の世界を伝える。
13 七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ)絹本著(けんぽんちゃく)(しょく) 尊勝曼荼羅図(そんしょうまんだらず) 泉佐野市指定
(絵画)
金剛界大日如来を中央に、周囲に八大仏頂を配した尊勝曼荼羅図で、日根荘に由来し、南北朝期の葛城修験の世界を伝える。
14 七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ)絹本著(けんぽんちゃく)(しょく) 不動明王八大童子図(ふどうみょうおうはちだいどうじず) 泉佐野市指定
(絵画)
両肘を曲げて持物をとる不動明王を中心に、左右に倶利伽羅龍剣と八大童子を描く図様で、日根荘に由来し、南北朝期の葛城修験の世界を伝える。
15 犬鳴山(いぬなきさん)七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ)(なら)びに 大木村絵図(おおぎむらえず) 泉佐野市指定
(歴史資料)
七宝瀧寺とふもとの集落の風景と取り囲む山や川などの自然景観が現在の魅力ある歴史的な情景と重なる。
16 ()眼院(げんいん)木造棟(もくぞうむね)(ふだ) 泉佐野市指定
(歴史資料)
日根神社の神宮寺で、長い年月をかけて大切に維持され続け、慈眼院や日根神社の沿革を知るうえで貴重な歴史資料。
17 (みなと)遺跡(いせき)出土(しゅつど)烏帽子(えぼし) 泉佐野市指定
(考古資料)
当時の成人男性がかぶった布製の実物。室町時代の木棺とともに出土した。
18 ()眼院(げんいん)こけら(きょう) 泉佐野市指定
(有形民俗文化財)
奉納される長さ30センチ、幅1センチの杉板片を円筒状に束ねたこけら経は鎌倉時代の民衆信仰を今に伝える。
19 大木(おおぎ)火走(ひばしり)神社(じんじゃ)秋祭り(あきまつり)担いダンジリ行事(にないだんじりぎょうじ) 泉佐野市指定
(無形民俗文化財)
泉州地域のだんじり祭の中で最も古い形態を残す伝統的な祭り。大木の生業である山師の力強い雰囲気を受け継ぐ地域色豊かな行事。
20 日根(ひね)神社(じんじゃ)まくらまつり 泉佐野市指定
(無形民俗文化財)
旅引付に記された春の祭礼がその起源と推定されており、行われる芸能等に感銘を受けたと記されている。
21 犬鳴山(いぬなきさん)七宝(しっぽう)瀧寺(りゅうじ) 未指定
(建造物)
山号は大蛇から主の命を守った義犬伝説に由来し、灯明ケ岳には経塚がある。現在まで葛城修験信仰を伝える場所。
22 (つち)(まる)蓮花寺(れんげじ)蓮華寺(れんげじ) 未指定
(建造物)
真言宗犬鳴派。旅引付に記され、土丸城主で活躍した南朝方の橋本正督の墓石などがあり、土丸集落の歴史を語る。
23 (つち)丸極楽寺(まるごくらくじ) 未指定
(建造物)
真言宗御室派。九条家文書に記され、修正会、法華八講などが行われ、中世以来の民衆信仰の世界。
24 火走(ひばしり)神社(じんじゃ)ホタキ神事(しんじ) 未指定
(無形民俗文化財)
天からの恵みの雨は生業である農業には欠かせないもの。旅引付に記される収穫感謝、厄除けを祈願する神事が現在も継承され続けている。
25 日根(ひね)神社(じんじゃ)(ほん)殿(でん) 大阪府指定
(建造物)
旅引付に記され、二枚の荘園絵図にも描かれている日根荘の鎮守社。中世は井川用水を司る神社として「大井関神社」と呼ばれた。日根荘の中心的な神社。
26 火走(ひばしり)神社(じんじゃ)(ほん)殿(でん) 泉佐野市指定
(建造物)
日根荘入山田村の総社で、中世には瀧宮と呼ばれる。旅引付には入山田村の風流念仏や雨乞い等が火走神社で行われたと記されており、日根荘入山田村の中心的な神社。
27 蟻通(ありとおし)神社(じんじゃ) 登録文化財
(建造物)
二枚の荘園絵図に「穴通神社」として描かれており、熊野詣や紀貫之の故事が伝わる長滝村の総社。古くから舞殿で能が行われ、今に継承されている。