令和8年度 日本遺産「日根荘」「北前船」構成文化財追加認定

更新日:2026年10月13日

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日本遺産の構成文化財が追加認定されました

(令和8年9月1日付)
1.日根荘

令和元年度に日本遺産に認定された『旅引付と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘の風景-』のストーリーを構成する文化財に、以下の16か所が追加認定されました。

文化財の名称

(※1)

指定等の状況

(※2)

 

ストーリーの中の位置づけ(※3)

 

土丸(つちまる)春日(かすが)神社(じんじゃ)

未指定

(建造物)

日根荘入山田村土丸村の氏神。拝殿脇には「天正十二(1584)」記銘の根来寺の坊院の名前がある石灯籠が残る。「九条家文書」から土丸村に神官がいたことが分かる。

野々(のの)地蔵(じぞう)(地蔵寺(じぞうじ))

未指定

(史跡)

「九条家文書」の室町期の「日根野村惣田数目録案」に「野地蔵」と見える。日根荘開発によって生まれた集落名の由来の寺院である。

妙光寺(みょうこうじ)

未指定

(史跡)

「和泉国日根荘日根野村荒野開発絵図」に見える「人宿本在家」(「旅引付」に見える「佐野市」の前身)に位置する寺院。延文3年(1358)創建。雨乞いの傘地蔵が本尊。「佐野市」は毎月二と七の日に開かれる定期市で群衆が集まる場であった。

如来寺(にょらいじ)

未指定

(史跡)

応永9年(1402)の伝檀波羅密寺の層塔が残る熊野街道沿いの寺。「九条家文書」にも見える。

土丸(つちまる)大井(おおい)井堰(いせき)

未指定

(史跡)

「九条家文書」には「鎚丸井」が登場し、「旅引付」では土丸村の樋が流れ落ちた記事がある。樫井川から土丸を通す用水路は「土丸大井」のみであり、中世には存在したと考えられる。

旧(きゅう)入山田村(いりやまだむら)四ヶ村(よんかそん)のかんがい用水(ようすい)施設群(しせつぐん)

(11ケ所)

未指定

(景観)

大木地区に残る水路やため池、井堰は地区内の小谷や複数の河岸段丘面の傾斜を利用した11系統の水利システムであり、現在も日根荘の時代からそのまま継承され、利用されている。

上町(うえまち)観音堂(かんのんどう)(旧(きゅう)檀波羅密寺(だんばらみつじ))

未指定

(史跡)

「和泉国日根荘日根野村荒野開発絵図」に見える檀波羅密寺の一部。周辺から「檀波羅密寺」と刻まれた瓦が出土する。近世までに廃絶したが、佐野村で観音堂として再興。しかし再度廃絶したと考えられる。

八王寺(はちおうじ)(八王子(はちおうじ))跡(あと)

未指定

(史跡)

「和泉国日根荘日根野村荒野開発絵図」に見える八王寺信仰の跡地。井川用水の井堰の場所に今も「八王子跡」の石碑が残る。

禅興寺(ぜんこうじ)・善光寺(ぜんこうじ)地蔵堂(じぞうどう)跡(あと)

未指定

(史跡)

「和泉国日根荘日根野村荒野開発絵図」に大きく描かれる日根荘外の古代寺院で、長滝地区の明福寺前に石碑が残る。かつて付近にあった善光寺地蔵堂は禅興寺の一部だったと伝わる。

畠田(はたけだ)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)

未指定

(石造物)

大木地区の畠田に位置する四基の宝篋印塔群。劣化が激しく残片も多いが、一番右の塔に文明13年(1484)の銘文が見られる。南北朝期の土丸城陥落による戦死者を弔ったものと伝わる。

伝(でん)橋本正督(はしもとまさたか)の墓(はか)

未指定

(史跡)

土丸蓮華寺の北西に位置する墓。墓域で最も大きい五輪塔が土丸城主として活躍した南朝方の橋本正督の墓だと伝わる。

伝(でん)日根野氏(ひねのし)居館(きょかん)跡(あと)

未指定

(史跡)

日根野村・長滝荘を根拠とする武士・荘官であった日根野氏(中原氏)の館跡を示す石碑。日根文書・和泉名所図会に見える。

蟻通(ありとおし)神社(じんじゃ)旧社地(きゅうしゃち)跡(あと)

未指定

(史跡)

熊野街道沿いに見える「穴通」とある場所に残る跡地で、陸軍明野飛行学校佐野分教所の建設により現在の社地に移転した。「九条家文書」に見え、謡曲「蟻通」の舞台でもある。

意賀美(おがみ)神社(じんじゃ)

重要文化財

(建造物)

上之郷地区に位置する鎮守にして式内社。上之郷は九条家と守護とで領有権をめぐる争いがあり、「旅引付」には「上郷三ヶ村」の記載がある。本殿は嘉吉2年(1442)の建立で神社建築では市内最古。雨乞いの神を祀る。

加支多(かした)神社(じんじゃ)

登録文化財

(建造物)

日根荘鶴原村の総社にして式内社。鶴原村は日根荘立荘時の官宣旨や「和泉国日根荘日根野村荒野開発絵図」に見える。鶴原村は足利義満により奉公衆佐竹氏に付与されたが、九条家は日根荘5ヶ村の一つとして返還運動を行っていた。

マゼの地蔵(じぞう)

未指定

(史跡)

『政基公旅引付』には大木に「万歳」という地名があり、字「真瀬」に通じると思われる。地蔵は真瀬と旧道の真瀬峠を示す道標であるとみられる。大木地区には「マゼのじいさん」の伝説が残る。

追加認定された構成文化財写真一覧(日根荘)(PDFファイル:867.7KB)

2.北前船

令和2年度に日本遺産に認定された『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~』のストーリーを構成する文化財に、以下の7か所が追加認定されました。

文化財の名称

(※1)

指定等の状況

(※2)

 

ストーリーの中の位置づけ(※3)

 

佐野町場(さのまちば)絵図(えず)

未指定

(歴史資料)

上善寺所蔵の明治41年(1908)の神社合祀以前に作成された、北前船北前船選手集落ゆかりの絵図。孝子越街道や路地に至るまで詳細に道が描かれており、現在までその姿が踏襲されていることはわかる。

なかせ寄(よ)せ場(ば)

(旧水揚(きゅうみずあげ)会所(かいしょ))

未指定

(彫刻)

積荷の揚げ降ろしのため働いていた沖仲士たちの寝泊りや休憩をする施設。船待ちの合間に力石を担ぎ上げ、力自慢を競った。重さは120~150kgあり、「龍虎」「雲竜」の名が刻まれている。

時雨(しぐれ)餅(もち)(時雨(しぐれ)羹(かん))

未指定

(歴史資料)

明和2年(1765)、食野次郎左衛門の番頭刑部庄兵衛が奥州から小豆などを船に積んで帰り、奥州産の小豆で蒸菓子を作って、療養中の岸和田藩主岡部美濃守に献上したところ、いたく喜ばれ「時雨」という名を賜った。

刑部庄兵衛は秋田県にかほ市の蚶満寺にその墓を残す。

食(めし)野(の)次郎(じろう)左(ざ)衛門家(えもんけ)資料群(しりょうぐん)

未指定

(歴史資料)

佐野村の豪商食野家の分家である次郎左衛門家に残る古文書群。岸和田藩や紀州藩への貸付関係文書や全国諸藩の大名の米輸送記録等が残る。

藤(ふじ)田家(たけ)庄屋(しょうや)文書群(もんじょぐん)

未指定

(歴史資料)

佐野村西庄屋である藤田家が所有する古文書群。中世の佐野村の用水にかかる文書や近世の佐野浦に関する文書が多数残る。

旧朝日(きゅうあさひ)湯(ゆ)

国有形

(建造物)

江戸時代の薬湯組合に所属し、豪商唐金一族が所有した湯屋のうちの一つ、大正5年以前のものである。孝子越街道に南面して建つ和洋折衷の旧銭湯で、現在は男湯を文化財課事務所とする。

大将軍(だいしょうぐん)湯(ゆ)

国有形

(建造物)

旧朝日湯と同様に豪商唐金一族が所有した湯屋のうちの一つであり、小規模ながら昭和以前の漁師の憩いの場であった。大正・昭和初期の近代タイルを使用する。

追加認定された構成文化財写真一覧(北前船)(PDFファイル:580.8KB)

3.日本遺産

日本遺産とは

・地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定。

・ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる文化財群を地域が主体となって、総合的に整備・活用し、国内・海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ります。

認定スト-リー

・104件

4.泉佐野市の日本遺産

1.令和元年度認定『旅引付と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘の風景-』

地域型:泉佐野市のみ

2.)令和2年度追加認定『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~』

平成29年度認定 シリアル型:泉佐野市他52市町

3.)令和2年度『「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』

シリアル型:泉佐野市他3府県22市町村

関連リンク

この記事に関するお問い合わせ先

文化財課 <e-mail:bunkazai@city.izumisano.lg.jp>
住所:〒598-0056 泉佐野市元町4-5 旧朝日湯内
電話番号:072-447-6766
FAX番号:072-469-0577